![]() | GOOD EVENING WONDERFUL FIEND(紙ジャケット仕様)(DVD付) The Willard |
最近の高速疲れに、試行錯誤を重ね、私が行きついた先は、今の若い人たちには馴染みなんて全くないのではないかと思うんですが、このTHE WILLARDです。
私的には、日本のバンドとしては、世代的にも、シーン的にも直撃のドンピシャリです。日本のパンク、アンダーグラウンドのシーンに一時代を築いた、インディーズ・ブーム。その先駆にして、中核のバンドのひとつであったのが、このTHE WILLARDです。私は長らくこのバンドが日本で一番好きなパンクバンドでした。というか今も好き。もう、そのスタンスだとか、アティテュードとか、もうね。パンクじゃなくなってもパンクすぎるんです。
そのパンクとしては独特の、ゴシック感を持ったビジュアル、それは当時、日本のDAMNEDとも称され、また、そのサウンドも、初期はDAMNED Likeにワイルドな疾走感を携え、また、Vo.JUN氏の独特の世界観を持った歌詞と相俟って、パンキッシュかつドラマチックなものでした。
THE WILLARDは、1982年に結成され、20年以上過ぎた今現在も活動を続けています。'06年にはニューアルバムもリリースされました。う〜ん素晴らしい。
この"Good Evening Wonderful Fiend"はオリジナル・リリースが、1985年。彼らが東芝EMIとメジャー契約する以前の、インディーズ時代のフルレングスとしては唯一のアルバムで、初期THE WILLARDの集大成とも言える作品です。キャプテンレコードより発売され、当時、自主製作盤としては、爆発的なヒットとセールスを誇りました。また、キャプテン自体が非常に金銭的またその他の面でも、メジャーに匹敵するようなレーベルであったこともあり、当時としては、そのサウンド面も、なんらメジャーと変わらないほどの高いクォリティーを誇っています。既にこの時点で、大手のメジャーから誘いがあったらしいのですが、敢えてキャプテンからの、自主盤でのリリースを選択し、そういった意味でもかなりのイニシアチブといったものが、バンド自身というか、JUN氏自身にあったのでしょう。再販のインナーのインタビューにもあるように、かなり、納得のできる全ての要素が取り入れられたそうです。まぁ、しかし、このインタビューというのが、非常に面白く、JUN氏のパンク然とした、アティテュードや、計算し尽くされていた、当時の動きなど、もう、彼の頭の良さとカッコ良さに溢れています。ちなみに最初の再販は最初期リリースのアナログ作品にSTOOGESのカバーが入り、キャプテンよりCDとして、1988年。そして現在入手可能な、先述のインタビューも含む、イカすスリーブに、LIVE DVD、12inchピクチャーとしてリリースされた3曲をボーナストラックとして追加し、2006年にリリースされています。
まぁ、それにしても今聴いても、やはり、カッコいい音です。技術が高いだとか、サウンドプロデュースが良いとかではなく、カッコいいサウンドです、日本のロックとして。パンクも含む、昔の良い時代のロックを彷彿とさせる、ある種アナログ的な質感は、非常にカッコよく聞こえます。その全体的な雰囲気といい、今、この手のレコーディングをする日本のバンドは、もはや皆無に等しいでしょうし、好みはあるでしょうが、私的にはこれぞ日本のパンクといった感じがします。
また、ギターはクレジットはギタリストの名前がありますが、全面的にJUN氏が弾いているらしく、そのギターが、音の作りといい、フレーズといい、もう素晴らしいです。初期はTHE STALINにギターとしても参加していたことがあり、STALINのボーカル、遠藤みちろう氏のソロアルバム、「ベトナム伝説」でも、ギタリストとして参加、全編に渡り、JUN氏の自由なプレイを拝聴できるのですが、もうなんかすごく好みのギターです。失礼ですが、ボーカルよりもギターの方が才能あり過ぎなんじゃないかと思うほどです。非常にロックン・ロールや、様々なロックのカッコ良さをわかってらっしゃる音です。
他にも、SEとか、ところどころに入る掛声とか、笑い声だとか、もうカッコいいにもほどがあります。壮大なスケールを感じる映画音楽のような楽曲に、様々に散りばめられたギミックのようなものが、時にトリッキーに、時にインパクトを持って、その壮大な世界観をさらに独特に広げていくのは、初期から、メジャー中期頃に至るまでの、THE WILLARDの非常に特徴的な部分であると思います。
ダイナミックでスリリングな、独特の疾走感を持った、そのサウンド、その雰囲気は、昔も今も、どのシーンを見渡したところで、見つけることができません。
随分前の話ですが、全国ツアーのワンマンLIVEを地元で観れたのですが、当時、バンドも分解直前で、半分ゴロツキだった私は、ただのお客さんだったのですが、私が大のWILLARDフリークであることを知っていた、LIVEハウスの店長(現オーナー)が、粋な計らいをしてくれて、LIVE後の打ち上げの案内役を任されました。
けっこう、難しい方と噂されていた、JUN氏ですが、実際は実にキサクにいろんなお話をしてくれて、DAMNEDの話などについて盛り上がり、しきりにDAMNEDが好きなら、MC5を聴けと薦めてくれたり、家出をして東京に出て、初めて見たLIVEが、日比谷野音のロッカーズだったなんていう、貴重すぎる話が聞けたりして、喜びこの上なしでした。また、当時ベースを弾いていたのが、音圧もスゲェのなんの、私もガキの頃から大好きだった、そのロッカーズの穴井氏だったりして、もう、私としては二重の喜びでした。とにかくメンバーや、スタッフの方たちも非常にフレンドリーで、私の飲み代まで払っていただく、逆接待ぶりに感動の嵐とはまさに、その夜のことを言うのかもしれません。その節は大変お世話になりました。その後、佐賀関はどっちだと聞き、そのイメージと全くそぐわないフィッシングに、興じるため夜の海岸通りに向かって、消えていくTHE WILLARDの皆さんでした。
THE WILLARD Official http://willard13th.com/prank-ster/

DOUBLE BOGYSは、'80年代半ばから、'90年代初め頃まで活動していた、日本の元祖メロディック・ハードコアとも呼べるバンドです。先日の理論でいうと、ハードコアというと、語弊があるかもしれませんが、ポップで、メロディアスで、ハイスピード、DOUBLE BOGYSはまさに、行き過ぎたというほどに、早すぎた日本のメロディック・パンク・バンドです。
現在、ボーカルのエスカルゴ氏は、MOGA THE ¥5というバンドをやっていますが、初期ベスト盤的内容である、"DOUBLE BOGYS!! WHAT FUN! 1988-1990"が発売されたのをきっかけに、DOUBLE BOGYSとしても活動を再開しているようです。"DOUBLE BOGYS!! WHAT FUN! 1988-1990"は、現在も容易に入手が可能なので、20年前、彼らが、どんな曲を書き、どんな音を出していたのかを確かめるには、もってこいのアルバムですが、コアなファンの間では、もっぱら'00年に発売された、現在入手がかなり困難らしい、編集盤がマストだとのことで、また、彼らのトリビュートアルバムも発売されていたようで、地方に居住している上、日本のバンドにかなり疎いほうである私は、そのどちらも所持しておらず、どちらも喉から手が出るほど欲しかったりします。また幻のデモテープなる音源も存在しており、それまた最高だそうで、そういった音源の評判を、聞き及ぶに、やはり、DOUBLE BOGYSは、前身のSTRIKESの頃から既に、当時のバンドとしては、珍しく、海外に視点を向けていたバンドだったようで、そのグローバルな視点から、海外にでも通用するかのような、スタンスや、音や、曲を非常に意識していたようです。しかしまぁ、こういった入手しにくい音源や、少ない情報など、先日もお話したような、悪しき日本のカテゴリーに、無理やり埋められてしまった感があるのは、なんとも言えない気分になったりします。
'89年のリリースの1st.アルバム"Tight Rope"。歌詞は日本語中心です。当時、インディーシーンの功績とともに、悪名も高い、旧宝島のキャプテンレコードからのリリースです。
今、聴いてみて、超高速かと言われると、時代もアレですから、なんとも言えませんが、当時としては、日本のバンドしては、群を抜いて、アップテンポで、スピーディーだったと思います。ただ、それは現代のようなハードコア的な高速感とは、少し異なり、できうる限りの最高速を楽曲に持たせたような、「全速力感」といった感じが近いかもしれません。当時の印象としては、初期のDICKIESあたりの感触に、良く似ているなと、感じていました。で、なんにせよ、その楽曲はひたすらに、ポップで、メロディアスです。そのポップさと、メロディアスさは、歌謡曲バリです。ただ、当時こんなガチャガチャして、突っ走ってる歌謡曲はありません。本当に失礼な言い方ですが、DOUBLE BOGYSのなんかつんのめりそうな演奏を聴くたびに、パンクとは演奏技術ではないなとか思ったりします。そして、ポップでキャッチーな歌。なんとも胸にくる、歌とメロディーです。そのDOUBLE BOGYSの歌は、甘く、切なく、しかし、その歌詞からも見てとれるように、時に毒気を内包しつつ、メロディアスに突っ走ります。「ひと思いに殺して 空地へうずめたい そしたらきっときれいな 花が咲くだろう」"花咲く頃"の一節ですが、ヤバイ感じにセンセーショナルなのに、なぜかロマンチストだったりする、なんともいえない視点は、詩、曲を作っている、ギターの大西真氏と、エスカルゴ氏のふたりとも、持ち合わせているようで、そんな二人の作る歌は実に魅力的です。
そして、'92年、2nd."Macaronic Spiral"では、そのシンプルな1st.アルバムとは、かなり違ったアプローチを展開し、実験的な楽曲や、アレンジを駆使していきます。当時、1st."Tight Rope"のときの、シンプルかつキャッチーな歌が、スピードとともに減退し、最大の魅力が損なわれたのではないかと、ファンの間でも、賛否が問われ、私自身も、なんとも判断のつきかねる作品だった印象ですが、今改めて聴いてみると、DOUBLE BOGYSの、そのグローバルな視点は、やはり当時としては異質だったのだと実感します。速い曲は充分に速いし、それは1st.のときよりも、近代的な高速感です。そして、本当にあらゆる角度から、いろんな音楽性を見渡し、多角的な実験を試みているかのような、楽曲の数々は、そのもともと持ち合わせていたポップ感とともに、非常に面白く感じます。しかし、私としては、DOUBLE BOGYSは、その類まれなる発想やほど、バンドとしての器用さを持ち合わせていないような気がして、巧くはいかんもんだなとか思いつつも、その不器用さが、DOUBLE BOGYSのパンクバンドとしての魅力で、実は、大好きなところだったりします。
DOUBLE BOGYSを耳にしたことがない若い人で、これから耳にする機会があれば、古いと感じるのか、新しいと感じるのか、ぜひ伺ってみたいところですが、私としては、その歌に何かを感じてほしいなと思います。
また、活動を再開して、万が一、新しい音源が出されるようなことがあるとしたら、DOUBLE BOGYSはどんな曲を書くのだろうと、興味はつきません。
![]() | ホワット・ファン! 1988~1990 (2005/09/17) DOUBLE BOGYS |
DOUBLE BOGYS Official http://www.doublebogys.com/pc_index.html
追:
しかし、なんとも時間がかかってしまいました。実は5/3から書いてました。5/4の「カテゴライズ」の前半の部分は、実は、このDOUBLE BOGYSの冒頭だったりしました。しかし、なんか途中から、変な怒りがこみ上げてきたため、どうにもおかしな具合になってしまい、思っていることを書いてみたら、「カテゴライズ」のような、文章が出来上がってしまいました。あの長ったらしい文章のあとに、自分の思い入れもたっぷりの、DOUBLE BOGYSを書くのも、どうにもしのびないので、全く仕切りなおしていたら膨大な時間を要してしまいました。う〜ん、文章は難しいです。
![]() | UNLUCKY BEYONDS |
SNUFFがシーンに登場して以降、ここ日本でも、そのフォロワーたる、メロディックかつ、ハイスピードなパンクバンドが、続々と現れます。そして、その先駆ともいえる存在が、BEYONDSでした。
BEYONDSが残した、この"Unlucky"というアルバムは、そのSNUFFの音楽性を、自分たちに吸収し、それを高いクオリティーで表現して見せた、まさに日本メロディック・ハードコア界の、先駆であるとともに、金字塔とも呼べる作品ではないかと思います。
BEYONDSは、'90年に結成され、'93年にこの"Unlucky"をリリースし、同年末に2nd.アルバム"The World,Changed Into Sunday Afternoon"をリリースした後、翌'94年、その活動に一度終止符を打ちます。そして、2005年再び、活動を再開し、現在も活動を続けています。その音楽性は大きく形を変えているようです。いささか、曖昧な表現に感じるかと思いますが、私は現在のBEYONDSのサウンドを、彼らのMySpaceにポストされた数曲しか、耳にしておらず、また、確たる音楽性と、それを表現している、現役のアーティストを前に、今、私が語ろうとしている事は、その彼らにとって、終止符を打った、過去の出来事にしか過ぎません。しかし、日本のメロディック・ハードコアを語る上で、私にとって、当時のBEYONDSは避けて通ることのできない、非常に思い入れの強いバンドであるため、失礼を承知で、話を進めたいと思います。そして、今回この場所で語るのは、彼らの'90年〜'94年の第一期のみついてにのみです。と、かくも奥歯に物が挟まったような、口幅ったい文章には、大きな理由があったりしますが、それは後ほど。
私のBEYONDSとの最初の出会いは、"Kill The Flippers With Guitar"という、メロディックコンピでした。LEATHERFACEなども収録された、そのアルバムのラストに2曲、BEYONDSのナンバーが収められていました。その収録曲"She Likes The Tube Boy"を耳にしたとき、私はSNUFF以来、久々に鳥肌が立ちました。私が聴いたそのサウンドは、今まで聴いたどの日本のバンドとも、一線を画す、ダイナミックかつオリジナリティー溢れるサウンドでした。英語で、特徴のある独特のボーカルと相俟って、もうそれは、日本人離れしているとしか、表現しようのない音として、飛び込んできました。その疾走感は、当時、既に一部では、圧倒的人気を誇っていたSNUFFを、彼らがインスパイアしているのは、容易に想像できましたが、それをリフやメロディーともに、格好いい、完成度の高いオリジナルに表現する、その力量。私はこの曲を、何度繰り返して聴いたかわかりません。そして、このアルバムに同じく収録されている、もう一つの楽曲"Feddish Things"の、あらゆる音楽性を雑多に詰め込み、それをハードコアとともに整合させ、難解な展開を見せる、当時の日本のパンクバンドは試みることもなかったであろう、HUSKER DU的アプローチ。私はパンクはおろか、その他の音楽性を持ったバンドにさえ、かくも洋楽ナイズされた姿を目にしたことはありませんでした。
BEYONDSとの衝撃のファースト・コンタクトからほどなくして、私はこの"Unlucky"を手にすることになります。そして、改めてこの当時のBEYONDSの持つ、その個々の力量と、トータル的なセンスに驚かされることになります。このタイトルにして、このジャケット(ちなみに現在入手可能な再販はこぼれているのが「メロンソーダ」ですが、初版は「コーヒー」です)。SNUFFテイストも全開な"Presence Of My Mind"に始まる、このアルバムですが、そこには「SNUFFのような」という表現では表せないほど、幅広い音楽性、リズム、表現力が詰め込まれていました。時にスラッシーに、時に穏やかに、刻まれるギターリフ、グルーヴィーにうねるベース、少ない細工をパーカッシヴに聞かすドラム、そして、時折裏返るかのような熱い歌声、それらが、不思議な整合感とともに重ねられ、独特のグルーヴ感を生み出している、彼らのプレイは明らかに、SNUFFのそれとは全く質感が違うモノでした。しかし、時に危うささえ感じさせる、その音塊は、とてつもなくパンクで、魅力的なモノでした。また、その彼らの楽曲は、攻撃的かつ豪快かと思えば、繊細かつ叙情的な面も持ち合わせたりと、その一曲、一曲が長すぎるともとれる、楽曲の数々が、またも不思議な説得力で、理不尽であるかもしれない、納得を聴く側にせまります。
何故か、このアルバムを聴き終えた後は、私が常々述べているような、次への期待などという、感覚は全くといっていいほど浮かばず、ある意味、長編の小説を読み終え、結末を理解した、満足感と、寂寥感に支配されます。それは当時もなぜだか、同じようにそのような感覚を、覚えていたように記憶します。
私が、このBEYONDSというバンドに感じた感覚は、年齢を重ねて、表現する言葉を見つけたとするなら、「刹那」という言葉がもっとも、しっくりくると今、実感しています。
しかしながら、「刹那」は、その意味どおり、一瞬であり、次へとは繋がりません。BEYONDSが見せたその「刹那」も、次作"The World,Changed Into Sunday Afternoon"で、その姿を大きく変えます。今、改めて"The World,Changed Into Sunday Afternoon"を聴くと、最も洋楽ナイズされた、希有な日本のバンドという、印象は、このアルバムからも、充分なほど感じられ、これもまた彼らの「刹那」であったと、納得はするですが、それは残念ながら、私の求めるパンクではありませんでした。それは、当時も、今も変わる事はありません。
何を隠そう、現BEYONDSのメンバー、テッキンこと工藤哲也は、私が今も住んでいる大分で、私のバンドでベースを弾いていました。それも以前お話した、トリオ編成にしてから(当時、彼は高校生でした)、彼が上京する直前までですから、随分と長い期間です。その後、彼の東京でのHUSKING BEEとしてのキャリアは、ご存知の方も少なからずいるでしょうが、その彼の東京での活躍を、私は常に自分のことのように、大変誇らしく思っています。そのテッキンが、今、情熱を注いでいるバンドの、過去の音楽性をどうのこうの語ろうというのだから、彼にも、また他のメンバーにも、大変忍びない気持ちでいっぱいだったりします。またそうまで言っておきながら、今のBEYONDSの音源すら、持ち合わせていないとは、薄情にもほどがあるってなもんですが、まぁ、そこはそれ、年老いてなお、未だパンクスである、私のモヒカンに免じて、何分ご容赦いただきたいと。
数日前に、彼に連絡をしました。「ブログ始めたBEYONDS書いていいか?」まぁ、当然のごとく「全然問題ないっスよ」くらいの、快い返事を貰えたわけですが、斯様な理由で、勢い慎重にならざるをえない、つもりだったのですが、中盤あたりからは、そんなことまったく意に介していないような感さえありますな。
テッキンならびにBEYONDSの皆様には、心から感謝と謝罪の意を表明いたします。また、"シルトの岸辺で"と"WEEKEND"は、いつか必ず入手しますよ。
BEYONDS My Space http://www.myspace.com/beyonds1990







